実行幹事代表挨拶
KID40を振り返って
KID40の感動が、長い残響を伴って徐々に思い出に変わっていくのを感じています。思い起こせば牧田先生のご逝去は、我が愚息の結婚式の前日でした。その訃報に接し東京にて偲ぶ会に出席をした後も、心に冷たい風が吹き抜けるような焦燥を拭い去れないでいました。このまま牧田先生とお別れすることは出来ないという思いが、先生と同じ時間を過ごした証を形として残さなければとの強い願望に変わるのを感じておりました。これが、KID40開催への序奏であり、動機でした。
記念誌にも書きましたが、最初は牧田先生の一周忌を旧芸工大でと考えていましたが、牧田先生との接触がなかった卒業生も出席し易い形にして欲しいとの要望で、今回の企画になっていきました。今思えば、芸術工科40年の歴史の中で牧田先生に思いを馳せる企画は大成功だったと、示唆してくれた後輩に感謝しています。しかし、計画を実際の形にするための時間は決して十分ではなかったと思います。実行幹事、実行委員のメンバーも勝手に指名させていただき、半ば強引にスタートした企画でしたので、各役員の方々には大いにご不満もあったのではないかと想像しますが、本当によく協力を戴いたと今更ながらに感謝の気持ちで一杯です。特に、広報・連絡の手段として、e-メールやホームページといった現在では一般的と思われる方法を用いましたが、周知徹底するためには決して十分ではないことを計画の終盤になって思い知らされました。手間がかかっても手紙や葉書による伝達を併用すべきであったとの反省をしております。この連絡の不徹底で参加できなかった方には、改めてお詫びをいたします。
約10ヶ月間久しぶりの全力疾走をし、6月3日を無事にそして盛大に成功させえたことは大きな喜びではありますが、それにも増して、私にとっては芸工大、牧田先生、諸先生方、同窓生、在校生を繋ぐ「芸術工科理念」を再確認できたことがなにより大きな収穫だったとしみじみかみ締めています。『こんな大学! 他にはないぞ!』と声を大にして叫びたいところです。私事で恐縮ですが、88歳の親父(初代の後援会会長で牧田先生とは共に中州を闊歩したとか)と84歳のお袋(息子が2人共芸工大卒なのに大学に来たのは初めて)に参加してもらえたのも個人的には嬉しい限りでした。
還暦まであと2年、同時に定年退職を迎える我々にとっては、幹事としてこのような会に参加するのは多分最後だと思いますが、KID50、KID60と受け継いでもらえれば、こんなに嬉しいことはありません。そして世代をまたいで青春を語り合うことが、「芸術工科理念」を永遠に輝かせることになると確信しています。大橋の地にキャンパスがある限り、「九州芸術工科大学」は永遠に存在し、その理念と実践力は発展し続けるものと信じております。これからも大いに期待し続けております。
参加いただいた方、また今回は都合がつかず参加できなかった方、皆様にあらためて感謝を申し上げます。ほんとうに、ありがとうございました。また、いつか大橋で会えることを心待ちにしております。
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